2011/11/18

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秋休みが始まりました。
12月初めまで授業なしです。
でも基本ノープラン。おっきい予定がないの。
予定を作るか作らないか迷い中なんだけど、多分迷ってる間に過ぎ去る。
それも自分で認める。


さて。
今学期は、色んな勉強をしました。スペイン語、開発学、財務管理、経済地理学、教育とメディア、西洋教育史。
一見統一性はないようにみえる。私自身も、今学期の履修決める時点では幅広くやろうと思ってた。 でも、今学期を終えてみて、未だにびっくりしてることは、授業やプライベートのことを含め、その統一性に欠けてみえるものたちがどんどんと繋がっていったってこと。幅広く授業とったつもりだけど、でも数ある授業の中から私がやりたいことを選んだんだよね。それで聴講とかもして期待はずれの授業は外した。だから、全部私がやりたいことではあったんだよね。そうしたら、つながっちゃった。

かといって、何かハッキリしたものが見えた訳じゃないよ。今までもこういうことって何度かあるんだよね。その度にどきどきしちゃう。でも、今回は今まで以上にどきどきしたし、それが続いてる。それに、今まではただ繋がったってことに面白さを感じてただけなんだけど、今回はそれが自分のやりたいこととか今の自分に結びついた。だからすっごいどきどきした。

そうなって私は大学に行く意味がわかってきた。高校の時に散々聞かれた。大学に行く事をほぼ前提にした教師たちから。「なんで大学に行くの?行かなくてもいいんじゃないの?」って。まあ挑発のようなもんだと思ってるけど。そのとき私は確かこう答えたの。「多分大学に行く意味は行ってから、卒業してから分かると思う。だから、こんな曖昧なまま行かせてもらえるのは凄いありがたいこと。」って。そして多分こういうことも考えてた。本でもネットでも調べれば一人で勉強できるのかもしれないけど、そうじゃなくて誰かに教わるってことは何を読んだり知ったりすればいいのか教わるってことなんだよ、つまり効率のよい学びが出来るってことなんだ、って。それは結構的を得ていると今も思う。でも、足りないところもある。
大学にいって色んな授業受ける意味、その質問への今の私がだす答えは、そもそもネット上にあんまりない情報に触れられること、膨大な情報の中からどれを使えばいいのかそのヒントを示してくれること、ハタチの自分では読めないような膨大な資料を読み学びその莫大な知識によってありとあらゆることを繋げて教えてくれること、自分の「考え方」が問われること、それを公にする或は他人に伝えfeedbackをもらったり相手の意見も聞いたりすること、この全てのことによって色んなことがlinkし合って自分の中になにか新しいものが生まれること、その環境が良い確率で保障されてること。

そこらへんにあるんじゃないかなあと思ってます。考えればもっともっとあるけど、具体的にきりがないくらい「大学にいく意味」 を答えられます。

本読む事が少し好きになったよ。