今、学生団体というものをやっていて。
もう立ち上げて一年くらいになるんだけど、
つい昨日、うちの団体史上最大のイベントが終わりました。
俺流。世界の歩き方〜暴走族、ICU、バングラ、総合商社、うつ、そして起業〜
例のごとく、大きいイベントが終わった後は、
カラになり学校おさぼりです。
今日1コマだけでよかった…
今日家で引きこもりながら色々と考えてたんだけど、
今回のイベントやこの団体そのものが、
きっとうちが高校生の頃から
頭の中でぐるぐる考えてたことを形にしたんだよね。
初めは蓋を開けてみたら、
途上国問題とか考える人ばっかりで辞めようかと思ったんだけど笑
結果的に、半年以上も諦めず話続けた結果、
「世の中や自分の“当たり前”を問う」
ってことになって、そのための活動しようってなった。
何でかわからないけど、反体制的なことが昔から好きだったのかな。
自分はmajorityの中に存在しつつmajorityの考えに対抗して。
自己批判なのかもしれないけど、下手したら友達減らすようなことだよね。笑
だから今までそれに大きくは踏み込めなかった。
でも、こうやってメンバーに恵まれ、周りの人に恵まれ、
自分たちの考えを練っていき、形にしていけた。
反体制的な考えかもしれないけど、所詮こんな一人の学生が疑問に思うこと。
やっぱりみんなも考えてることなんだよ。
だから、来てもらって少しでも共感得てもらえるのが嬉しい。
反体制であるということは、majorityを批判することだけど、
その底にある
ひとりの人間を愛したい愛されたいというのはみんな同じで、
そこを押さえている。
それがうちらの強みじゃないかなーと思った。
だから参加者も含めてここに集まる人たちは居心地がいいんだろうなと。
こうして素敵な人たちのおかげで
何年も前からぐるぐる考えてたことを形にできた。
問題提起をして人からフィードバックをもらって
その輪が共有されどんどん広がっていく。
それが嬉しいし、自分はそういうのが好きなんだなっておもった。
私がヒッピーを好きだったのはきっとここなんだよね。
別に髪長くなくても、フリーセックスじゃなくてもいい。
人のためにひとりのためにビッグパワーに対抗すること
愛と平和のために常識を疑うこと
人は完璧じゃないから、時々間違うから。
悲しみを埋めるために悲しみをつくるのは悲しい。
だから時々疑ったり反抗したりするのも大事だな、と。
ちょっとした間違いが疑われずどんどん大きくなることもあるから。
ただ否定はしたくないんだよね、
性善説の信じ過ぎかな、
怒りのもとは悲しみだと思っていて
どんな悪いことの裏にも人間がいるはずだから。
“we are not against the soldiers, against the war”
1:40~
幸せだなとふつふつと思っています。
昨日あの場にいて、今日色んなひとからフィードバックをもらって、
この人たちが一緒に世の中つくっていく人なんだと思って、
いけんじゃん、って思った。
自分がいる社会に絶望はまだしないよ。
弱さを包む愛を。
弱った朝にはヨーグルトを。(ダノンに惚れた)

marika
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