2012/02/12
ditz
世の中の若者は
「将来の為に今何かを我慢して頑張っても仕方ないから今を楽しむ」という考え方からか、現在の生活に対する満足度って結構高いらしい。
納得納得。
今は満足。(将来は不安だけど。)みたいな?
なんかすごい納得したんだよね。
多分大人もそういう若者に対して「行き当たりばったりな生き方をして…」みたいな批判は出来ないんだろうね。だって、姿勢を改めるかどうかは別として、そろそろ若者に負担を強いていることは分かってきてるみたいだから。単にそう若者批判をしてる人がいたらそれこそひくわ。若者がそういう考えに至ってしまわざるを得ない状況に頭を悩ませてほしいものだよ。
本題はここからなんだけど、
この話をしてて
いよいよ自分は変わり者なんじゃないかと思ってきたんだよね。
特に最近の自分に関して。良くも悪くも。
自分がこの大学に通ってること=安定した家庭で金がかかる大学に行ってるってこと 。
いわゆる「女子大生」でありながら目の前の楽しいを追い求めることに疲れたこと。
とは言っても、大学1年の頃までは、私も紛れもなくいかに自分が楽しむかを重視してた人間だったと思うんだけど。
そしてこの考えが、就活をあと一年後とかに控えたってことだけが理由だとも思わないんだよね。
ここ何年かでまあ色んな出来事が身に起こり、色んな人たちに会い、自分はこの陰に隠れて泣いている友人たちをどうにか出来ないものだろうかと本気で思い始めたんだ。
高校〜大学でずっと感じてた自分を取り巻く人間の「普通」の狭さ。
自分たちの眼に映る「常識」の小ささ。
日本に限ったて自分の目の前にある生活とは程遠い暮らしをしてる人がいる。
そして大概そういう人たちには「安心感」というものが、ない。
そういう友人たちを(偶然だったり意図的だったり)目の前にして、自分が幸せな瞬間を求めたり、自分をどう表現すべきか、なんてことが、途端にとてつもなくくだらないことの様に思えてきたんだ。
確かに自分が幸せだと感じたり、生きている意味を実感できないと、人のために何かするとか出来ないのかもしれないけど、もう自分は充分だろう、って。
そういう友人たちを目の前にして、まだ自分が楽しい嬉しいなんてことばかりを求めるのか?そう思えてきたんだよ。
これまでの人生で自分が心から笑ったり、泣ける程嬉しいと思うことがあったり、ありがとうと繰り返し繰り返し伝えたくなるような出来事があって、それがどれだけ自分に生きる意味を与えたかを考えた今だからこそ出来ることだと思うんだよね。
いくら金持ちで両親も安定的に家にいたとしてもそういう経験を出来てなければ、それはやはり自分が幸せだと思える瞬間を追い求めていい。というかそうしないといけないと思う。
でもさ、今の私は、
自分が家を出るまで家庭の心配せずに済んで、
人生楽しい!と思えることがどんなにパワーがあるかを知っていて、
それでいてその環境が一変して頼る場所がない不安も知っていて、
現在は社会にインパクトを与えられるであろうスゴイ教育を受けてる。
こんな条件の人間ってあんまりいないんじゃないかなあ。
だから自分はこんなに有益な人材なんですとアピール出来る程、
実利は伴っていないかもしれない。
けど、こんだけの条件を身に纏った私は、たった今使命感に追われているんです。
自分の友人が少しでも、人生最高!と思えたら、ね、そう思って欲しい、と。
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