2012/02/19

stop for



やっぱりやっぱりずっと追われてる。
目の前の課題、テスト、成績、就活、、、
それは例えば他に部活とか没頭してしまうものがあれば、そっちのけられるくらいのものだとも思えるくらいのことなのに。

大学に入って自分自身の人生の中でこれでもかって程勉強を続けてて、それで得たものも実感してる。し、それによる弊害とかへの嫌悪もあまりない。

けど、その勉強の先に考えていることが、「自分が何をしたいか」じゃないんだろうなあと最近ぼんやり思う。勉強し続けていく中で、色んな事を知って、結果的に自分がやりたいことを見つけるってことは沢山ある。

でも、何のために勉強してるのか?その答えは、一つはある。社会に対してのね。でも、自分にとって、何の為に勉強してるのか?それははっきりとは答えられないし、多分あんまり考えてもいないと思う。

自分が幸せであることに責任を持つ。
ワタミの社長が言ってた言葉ですごい納得したこと。

でも、それと同時にじゃあ自分はそれで何がしたいのか?
それをあまりにも考えていないんじゃないか、と自分にびっくりする。

「自分は何がしたいのか?」
それはそう簡単にでる答えでないことはきっとみんな知ってる。
きっとヒントは既にもう自分の中にある。
だけど、答えは見いだせていないまま。
その答えを引き出すためには、柵から解放されタスクを手放し、自由にぼんやりと考える時間が必要だと思う。
完璧に手放す必要はない。
そういう時間を作ればいいだけ。日常的に。
それと同時にオーバーワークで刺激を受けるからこそ見えてくることもあるし、結果それが自分のやりたいことを発見するきっかけになるってことは大いにある。と思う。

けど、今はどっちつかず、って感じかな。

オーバーワークでやってるようなこともないけど、
かといって毎日毎日降ってくるタスクを一時停止させて自分のことを考える時間も作れてない。

でも、いまこうして書いていて自分のことが少しわかってきた。


多分私には、オーバーワークと無の時間を繰り返していくことが大事なのかも
現時点とこれからでそのタイムスパンをどうするかはだいぶ違ってくるのだろうけど。

最近気になっているサイトとかで取り上げられてる人たちは、
「生きるように働く」とか「仕事とプライベートの境目がない」人たち。
それもすごい。
自分もいつかそうなれたら。
そうは思う。


でも、今は自分が何をしたいのか、どうしたらいきいきしていられるのか、それが掴めてない。そんな時に、ずっと働ける環境を求めていくと、何かがいつか狂いそう。

向かう矢印の方向が最初はたった1°の違いかもしれない。けど、時々立ち止まって、ぐるーーんて周り見渡して、もし「これは違うな」って思ったら修正してかなきゃいけない。道を間違えるのはアリ。全然アリ。でも、それに気づきすらしないで、ノンストップで進み続けたら、のちのち自分は何がしたかったんだっけ?って分からなくなって、結局またタスクをこなすだけの日々になっちゃいそう。そうなりたくない。


「自分はこれだ」と思うものが見つかったら、
「生きるように働きたい」。
それは凄く凄く幸せなことだと思うから。

でも、それを見つけるまで。
オーバーワークをしては、時々立ち止まる、勇気を 、持とう。
世の中にはスゴイ人沢山いる。スゴイ大学生も沢山いる。
しかももう就活開始まで一年ない。かもしれない。
けど、まだ一年弱はある。
走り出すために立ち止まらなきゃいけない時。

立ち止まっても、誰も何も文句いわないし、食うのに困ることもない。

ここで立ち止まらなきゃ。

1 件のコメント:

  1. 今の学び=制度、問題の根本を読み取る力。
    それが分かったところで、
    じゃあ自分はどうやって何をしたいのか?
    それを考える必要がある。

    「自分」が何をどうしたいか、は、
    学校では教えてくれない。

    現時点で言えることは、
    「勉強していく過程で自分のやりたいことが見つかるだろう」という推測に頼り過ぎていること。

    常に、現時点で自分が持っているものだけで、自分は何ができるか?何がしたいか?何が足りないか?を考えていきたい。

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